9月例会案内

 日時:9月27日(日)  10:00〜12:00
 会場:北名古屋市福祉センター(いつものところ) 名鉄犬山線「西春駅」西へ歩いて10分 (0568)22-1111
 テーマ報告者が決まりました。ぜひ、周りの人にもすすめてください。
テーマろう教育の課題を、歴史的・発達的にとらえ直す 竹沢清(元愛知千種ろう学校)
  
 問い合わせ先 山田隆幸 yamasen@kdt.biglobe.ne.jp もしくは携帯090−3456−2523

【報告者レジメ】  
    
ろう教育の課題を、歴史的・発達的にとらえ直す    2009.8.10改訂版
竹澤 清(元愛知千種ろう学校)

〔1〕 2006年の4月の出来事――専門性の危機
   聾学校の職員室の机の上に、軒並み、手話の本が=「特別支援教育」の先
   取り人事

〔2〕 私のろう者との“印象的な”出会い
「靴を取りにかえる」「土地が安い、と静岡の青年が一宮にやってきた」
   「余罪」 ――一言で言えば「9歳の節」

〔3〕 (これまで繰り返し言われてきた)手話・口話論争を、私流に問い直す
 (1)どちらか一方が正しければ、200年以上も(しかも世界的に)論争は
    続かなかったはず。
    cf 手話法−ド・レペ(フランス)1760年
      口話法−ハイニッケ(ドイツ)1769年
      日本も、出発当初(明治11年、京都盲唖院)は、さまざまな手段で。
      口話法は昭和10年代に全国的に。
*私は、教育の持つ2つの側面――「教える」「学ぶ・本人が獲得」の
     せめぎあいと捉える
    「教える」を強調=口話  「獲得」を強調=手話
――本来は両方が必要。1つのみが肥大すると問題が起きる…。

<参考>同じ民間教育研究団体でも、「教えること」にウエイトを置く
        団体と「学ぶこと」にウエイトを置く団体がある(社会科の 
        「歴教協」と「日生連」。美術の「新しい絵の会」と「美術教
        育を進める会」。全生研と日生連の集団づくり)

(2)「聾学校で、なぜ手話を使わないのか」、とよく問い詰められた
手話の関係者は成人のろう者を相手にしていることが多い=成人は、実は、
   口話でそれまでに一定に言葉・概念を身につけているから、手話で(も)
   会話が成り立つ。
だが、ろう学校は、子どもに「概念そのものを育てる」ことを課題にし
   ている=言葉(いわゆる日本語)を単に手話に変えてもわからない。例 
   看板「立ち入り禁止」→「たちいりきんし」ではなく、「はいるとあぶな
   いよ」と変えないとわからないように。「四季の歌」での「四季」を手話
   に変えても、その概念がないからわからない。
(3)今はなぜ、手話なのか
主として、教育現場以外の人たちの運動と人権意識の高まりがあった 
   (今日の手話の隆盛は、私などには隔世の感)。さらに、教育全般で、 
   「教え込み」(=口話法の弊害でもある)の持つ問題点が、意識化されて
    きたこともある。
改めて言えば、教育全般の風潮として、「教育の歴史=教化の歴史 
   (太田堯)」ととらえられ、「問いと答えが近すぎる」間は、手話が学校
    現場で流布することはありえない。言葉がないから、もっと言葉を教え
    る=口話法、と、直線的になるのが普通だからだ。そうではなく、どん
    な手段でもいい、伝わる喜び・わかる喜びが、言葉・コミュニケーショ
    ンへの意欲そのものを高める――となれば、手話の見直しにつながる。
    こうした弁証法的なとらえ方に至るまでに、時間がかかった。
かつて手話は、学校現場では、“後ろめたい言葉”だった。教えるべ
    き日本語を放棄して、安直な手話に逃げていると考えられた。――以前、
    手話を使う教師には、とらえ直しを求められる抵抗の言葉だった。もと
    もと、手話関係者には手話はいいもの、ろう教育の関係者には、タブー
    を犯すもの、としての出発点の違いがあった。

 だが、一方で、今は、手放しに手話はいいもの、としてあまり深く捉
    えることなく使われているところがある。そこにはまた新たな問題をは
    らむ――と私は考える。

  (4)手話をめぐっての、今日の新たな問題
    手話はあくまでも「話し言葉」。
だが、学校教育では、学年があがるにつれて、「書き言葉」のウエ
     イトが大きくなる。健聴の子であっても、「話し言葉から書き言葉に
     移行する」ときには、独自の取り組みの必要性と困難性がある。まし
     て聾学校。現在、幼稚部でも手話が取り入れられることが多くなって
     いるが、幼稚部で、手話で通じ合っていた子を、日本語(音声言語)
     でも・書き言葉まで、という高い峰にどう、せり上げていくのか、は
     大きな課題。
(手話の即時性 形が残る文字・指文字で補いながら かたまりとして
     聞く音を生かしつつ)
  “手話が最優先扱いされる”ことの問題
   「手話を」という声は、当事者の声、ということで、ともすると、以
     下のような発言を控え勝ちになる。だが、事実はおさえておかなくて
     はならない。
   少し以前に、北海道で、道議会が聾学校での手話導入・重視を決め
     た(親と自民党道議とで)、との報告を聞いた(これは、教育内容へ
     の介入に道を開く。七生養護の事件を思い浮かべよ。いわば、「養護
     学校では、自閉症は○○法で教えよ」と決めるようなもの)。
  また、S県、K県などで、手話を使わない教師を排除しようとする
     親の動向を聞いた(教師を、手話が使えるかどうかで振り分け、親と
     の分断が持ち込まれることの危険)。
  cf「日本手話」と「日本語対応手話」
――とかく、ろう教育では、現象的に外から見える「手話」に問題が集
     約・矮小化されがちだけれども、実は、おおもとには、教育そのもの
     の課題が横たわっていることが多い。
たとえば、成人のろう者から、よく、かつての口話教育の非人間性 
    (手話が禁止され、椅子に手を縛られた)が語られるが<それはそれで
     問題だが>、開き直っていえば、ろう教育だけが、人権無視の教育を
     していたわけではない。戦前、通常教育では、まさに戦争に駆り立て
     る教育を進めていた。こうした風潮の中で、ろう教育の現場だけが、
     子どもの人権を大切にする教育をするはずがない。
  私自身で言えば、「ろう教育に手話を」という声には、手話そのも
     のというだけでなく、「もっと子ども主体の教育を」という願いが“
     託されている”、と捉えたい。
  
〔4〕 私たちの課題
(1)ろう教育というのは、
「言葉の獲得」という大変な課題を抱えつつ、一方で、子どもによって
   は(あるいは「親子・教師の努力によって」は)、“大学にまでいける 
  (こともある)”教育――それが他の障害と大きく異なるところでもあるし、
   インテグレーション傾向が強まる要因でもある。
そこで、親も教師も“せり上げよう”として、結果として、個人的・受
   験勉強的・能力主義の波もかぶりやすい。(教科書も使うし、格差も生ま
   れやすい―そこに行政も乗ってきて、能力主義的な再編成をする<東京>)
   。
――こうした理由から、一方で、他の障害以上に、聴覚障害者のアイデン
   テティが強調されることになる。

 (2)「9歳の節」を本格的に越える教育を――「話し言葉の獲得」に次ぐ、
   第2の峰
<私の社会科>
“未完の”戦争学習
「半年早く負ければよかった」「ゼニみたいもんいらん。良雄返して
      くれ」
源氏物語「有名な作品なのになぜ、作者の名前がない?」
――“手話を使って、わかりやすく教える”のではない。
*言葉で説明するのではなく、「事実に」出会わせる。
*教えるのではなく、「矛盾に出会わせて」、立ち止まらせ(時には
    つまずかせ)、考えさせる。
<水谷理科実践>
――「9歳の節」を踏まえた教科教育というのは、実は「わかる教育」
    を求めることでもある
*その際、「集団で、認識を深める」「あれもこれも教えるのではな
     く、典型化する」「生活・事実から学ぶ」ことを大事にする
 cf「実用的知能から論理的知能へ」(ヴィオー)
 (3)私たちの専門性
    ともすると、「人工内耳」、「発音指導」などが専門性と思われ(思
    わされ)がち。
 *障害だけでなく人間を見よう(学生の感想――「専門性」だけでなく
     「人間性」を)
 *私たちの専門性
・根幹は「子ども理解」
・コミュニケーション労働(「隼人のおりこう」)
・教職員集団の専門性、ととらえる
   「特別支援教育の問題点」
    ア「個別の指導計画」的な発想
・本来――実践とは働きかけの中で、子どもをとらえ直しながらの
      営み。「はじめにプランありき」「こなす」は実践と呼べない。
・ 子どもにとって――「できる」ことのみが求められて人格形成
       がおろそかになる(能力と人格の統一は47年教育基本法の精神)
・教師にとって――マニュアルに従った指導は、実践主体を育てない
cf「実践」「実践記録」という言葉が生まれたのは1930年
      代(それまでは「実際」と「理論」)=天皇制教育に抗した、生活
      綴り方教師によって用いられた。
    イ「特別支援教育」の持つ、教育内容的な・根本的な問題点
「ふさわしい生活」――「その子のテンポに合った、安定的な生
      活」「対等な仲間のいる生活」。
「ふさわしい生活」があるから→要求が生まれ→要求があるから
      発達が始まる。となれば、通常学級に所属させ、取り出し指導的に
      教える“特別支援教室”は「権利としての生活」を奪う→就学の場
      ・現在の生活のありようを吟味する必要 cf学童保育のありよう
(4)私たちのつくり上げてきた実践・運動に確信を
<今日の状況――校名変更など>
   山口――総合支援学校に(高等部は知的の生徒の数がろうの子をこえた。
       ”にぎやかになった“とのとらえ)
   奈良――すでに盲ろう一諸に。調理員・寄宿舎指導員が減らされた
   沖縄――高等部に知的の生徒を、との動き。食い止めている。
   広島――一般的な名前になってしまった
 <ヒント>
 青年討論集会「障害者としての誇りを」(障害者としての集団の意義)
 井関実践――子どもに返す 加藤実践――学校の持つ教育力の発揮を
     「先生を戻せ」滋賀ろう話の卒業生